大熊元共同代表のメッセージ(2015年6月23日)
「慰霊の日」の感想


Sent: Tuesday, June 23, 2015 9:46 AM

水郷水都全国会議の皆様

7月の第31回名護大会には、新潟で「水と土の芸術祭」のイベントがあり、出席できないので、6月12日から15日にかけて
崎山正美さんを 頼って、新潟水辺の会の相楽治さんと私の二人で辺野古や糸満市を訪ねてきました。
今日は6月23日、沖縄戦終結の「慰霊の日」ですので、その時の感想を少し述べさせてください。

崎山さんから6月21日に送られてきた「旧暦耳学問291」に「戦後70年たっても沖縄線の悲しみは消えない。そして戦争
に加担しない という強い思いは私たちの子や孫に確実に継がれていくだろう。」とありました。
このことを強く感じたのは、糸満市にある平和祈念公園内の「平和祈念資料館」を訪ねたときのことです。
保育園の子どもたちが先生に連れられて、資料館を参観しておりました。
防空壕の中や死体がるいるとする写真を見て、子どもたちの多くは涙を流しておりましたが、先生たちは平然と子どもた
ちを誘導しておられました。
この光景を見て、私も自然ともらい泣きしてしまいましたが、こういう教育が大事なのだとつくづく思いました。

ついでに辺野古川に関して、沖縄タイムズに記事が出ましたので、それを添付しておきます。(写真1
辺野古川の河口を工事ヤードとするので埋め立てるということです。

1956年の辺野古川の写真を添付しておきます。(写真2)
河口に向かって上流から取られた写真ですが、幅が広くて、橋の上流にマングローブの湿地帯の“膨らみ”が残されています。
おそらく、辺野古川の洪水と高潮がぶつかりエネルギーが殺されて遊水したところだろうと思います。
ところが、道路建設の残土などを使って辺野古川の周辺が埋め立てられ、川幅は半分程度になり、このマングローブの
湿地帯もなくなりました。
2015年の写真と今回撮影した「辺野古川埋め立て」の写真で確認してください。(写真3、4)
「辺野古川埋め立て」の写真の左側の人が歩いているあたりにあるコンクリート壁が昔の左岸側の堤防とのことです。
こんな川幅の縮小は、「川の虐待」そのものです。
その後ちょっとした高潮で、川沿いの家や、埋め立てられたところに新築された家は水害に遭っています。
現在さらに河口を埋め立てようということです。
川の代理人としては、もうこれ以上埋め立てないでくれと叫ぶ以外にありません。

河口の先端にある小高い森は、門中墓といわれるところで、先祖の霊が祭られているところだそうです。(写真5)
「魂が安らぐところ」の前面が埋め立てられてしまいます。

水郷水都全国会議の見学会では、是非、この辺を視察していただけたらとおもいます。
添付資料が多く、長いメールで申し訳ありません。
今日は「慰霊の日」ということで、お許しください。
写真1 沖縄タイムズ (2015.06.16) 
写真2 1956年 河口に向かって上流から取られた写真 写真3 2015年の写真
写真4 今回撮影した「辺野古川埋め立て」の写真 写真5 河口の先端にある小高い森は、門中墓といわれるところ