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第29回水郷水都全国会議・霞ヶ浦大会
参考資料 

第2回大会の概要


 第29回大会準備の参考のため、1986年に開催された第2回大会の概要を、20年誌「ふるさとづくり提言の時代」2005,より抜粋しました。
文末に「霞ヶ浦宣言」と「宍道湖・中海の淡水化事業の中止を求める特別決議」が添付されています。

第2回(1986年9月6,7日 茨城県土浦市)

1) 開催時の状況
 第1回世界湖沼会議の時、霞ヶ浦のアオコを展示した。そのことがきっかけとなって、水郷水都全国会議が結成されたいきさつもあって、霞ヶ浦で2回目を引き受けてほしいといわれて困ってしまった。第1回の松江大会は、宍道湖・中海の淡水化反対運動で熱気に溢れており、岩波書店発行の「公害研究」の編集委員の方々の強力なバックアップも得て内容的に充実した会であった。この真似はとても出来そうもないと尻ごみするばかりであった。「どうしても霞ヶ浦での開催を希望するのであれば、土浦は土浦なりの事しか出来ないと思う。それでもよければ引き受ける方向で考えましょう」と主張した。これが、この会議の[現地おまかせ方式]として定着し、今にいたっているのかも知れない。
 霞ヶ浦の汚濁の深刻さを皆さんに知ってほしい。淡水化に反対している宍道湖・中海の漁民のかたに霞ヶ浦のアオコの実物を見てもらいたい、と思った。

2) 実行体制
 保母先生がわざわざ説明のために土浦に来てくれて、開催が正式に決まったが、資金が一銭もない現実に愕然とした。当座の通信費として「子ども文庫の会」から借金をし、子ども文庫を事務所にした。しかし第1回の実行委員会までには、土浦の自然を守る会、ソーラーシステム研究グループ、土浦青年会議所、霞ヶ浦を良くする市民連絡会議、三多摩問題調査研究会、土浦農協、土浦協同病院、栃木の水を守る連絡協議会、田中正造大学、筑波大学水の会、学園都市の自然と親しむ会、牛久の自然を守る会、水道労組等々、東京、栃木、多摩などの市民団体も参加して30団体、61人の体制を作ることが出来た。しかし、茨城県をはじめ地元の地方自治体は、ほとんど参加してくれなかった。地方自治体職員が住民運動に積極的にかかわっている地域が羨ましかった。

3) 開催時の課題
 資金の調達。会計係は鬼の会計といわれていた。
(1)現状の認識、(2)新しい水思想の展開、(3)何を提案し、なにを実行するか、この3つの課題を侃々房々、夜中まで議論していた。議論に一応の決着をつけるのに莫大な時間がかかり、開業医などの忙しく厳しい職業のひとたちからは、市民運動にはついていけなくなってしまう、と云われてしまった。

4) 成果
☆ 「アオコカッパからの提言」というテーマにした。カッパを通して地域の歴史、水の文化の見直しを考えた。
☆ 新しい水思想の展開として「水源自立の思想」が議論された。
☆ 霞ヶ浦宣言のほかに「宍道湖・中海の淡水化事業の中止を求める特別決議」が採択された。
☆ 宍道湖・中海漁民と霞ヶ浦漁民の話し合いが行なわれた。
☆ 東京の市民団体が参加し、以後の水郷水都全国会議の推進役をはたしている。
☆ 霞ヶ浦情報センターの誕生、水郷水都全国会議分科会の議論の中で民間の情報センターをつくるべきという結論に達した。3年後の1989年、霞ヶ浦情報センターが設立された。「霞ヶ浦情報センター」は、いま霞ヶ浦をとりまく市民団体の核として活躍し、ポスト「第6回世界湖沼会議」の受け皿として期待されている。

5) 現在(1995年)の状況
 霞ヶ浦の水質は少しも良くなっていない。アオコのプランクトンの種類も、ミクロキスティスエルギノーザからフオルミデューム、オッシラトリアが多くなり、冬でも存在するようになった。しかし、人々の意識はかなり浄化の方向に積極的になってきた。茨城県の行政の変化はめざましい。また河川管理者の建設省も、多自熱型護岸を実行するなど変化が見えてきた。第6回世界湖沼会議をきっかけにして住民、企業、研究者、行政が同じ土俵で議論しようとしている。これは霞ヶ浦の歴史にとって画期的な事である。第6回世界湖沼会議に市民が主体的に取り組んでいこうと、「世界湖沼会議・市民の会」が誕生した。
会長は水郷水都全国会議霞ヶ浦の時に、土浦青年会議所のメンバーの一人として活躍した堀越昭さんである。水郷水都全国会議の時の人脈が世界湖沼会議に生きているのである。
(回答者 奥井登美子)


第2回水郷水都全国会議 霞ヶ浦宣言

 第2回水郷水都全国会議は、日本列島の各地で、湖沼、河川、海域の水辺環境の保存・再生の運動と取り組んでいる150団体600人が参加して、1986年9月6、7日の両日、霞ケ浦湖畔の茨城県土浦市で聞かれた。
 参加者一同は、極度の水質汚濁により、あたかも緑のペンキをぬりたくったようなアオコの発生している霞ケ浦の現実を見すえながら、「水文化の再生をめざして、アオコ河童からの提言」をテーマに討議を行った。
 全国会議での基調報告は、地元霞ケ浦の環境破壊を分析し、湖沼を水資源供給のためのシステムとだけ考え、人間の意のままに動くロボットとみなして、開発・管理・利用を重ねた結果、今日の悲劇的状況を現出した社会的過程を指摘した。つづいて行なわれた現地報告では、霞ケ油汚染について漁業者、商人、農民、市民運動の立場から多角的に解明されたのをはじめ、昨年、第1回水郷水都全国会議を主催した宍道湖・中海の干拓・淡水化問題に取り組んでいる住民たち、さらに柳川、東京・下町、三多摩、利根川上流・足尾、瀬戸内海、手賀沼、琵琶湖、静岡県富士市の八地区の報告がなされた。
 全体会議につづいて聞かれた分科会は6つのテーマ、すなわち
① 霞ケ浦の再生は可能か一湖沼再生論
② 都市の水循環
③ 農村漁村の水循環
④ 地域活性化と水質浄化
⑤ 市民の手による水質調査
⑥ 水とどうつきあうか-
にわかれて詳細な討議が行なわれた。
 全休会議と分科会の討議を通じて明らかになった諸点を列挙すると次のようになる。すなわち、第一に、湖沼を水資源供給のシステムとみて、「開発と自然環境の保全は両立する」とした湖沼開発の論理の矛盾が明白にされたこと。
 第二に、その対策として、水と人との間の正しい共存関係の確立について、すでに多様な方策が各地で模索されていることが紹介され、まさに「アオコ河童からの提言」が数多く提示されたこと。
 第三に、その代表的実践として、湖沼近辺の農村、漁村における水循環による汚染の軽減の方策が現実化していること。さらに都市の水循環をめざして、自治体と研究者と住民が協力して、雨水の活用による「水源自立」の思想が確立し、それにもとづく先進的対策が現実化してきていること。
 第四に、市民の手による長期にわたる水質調査にもとづいて、水を生かした地域活性化の行動が、各地で住民と自治体の協力のもとに、多彩に展開されていること-などである。
 これらの実践は、まさに、昨年の第1回水郷水都全国会議で採択された「松江宣言」で打ち出された「親水権」の思想の内容を豊かにし、その具体化をめざす行動といえるであろう。

 第2回水郷水都全国会議に結集した私ども一同は、討議を通じて明らかになった、このような数多くの、「アオコ河童の提言」をふまえて、

(1) 霞ケ浦および琵琶湖総合開発事業の抜本的再検討、宍道湖・中海の干拓・淡水化事業の中止をはじめ、全国各地にみられる湖沼、河川、海域における生態系を無視した開発の中止を要求する。

(2) 地域における水循環機構の修復と確立をめざす。

(3) 現代人が水とつきあうための哲学ともいうべき水文化の再生と創造の道を歩む。

以上の三点を実施することを、ここに宣言するものである。

宍道湖・中海の淡水化事業の中止を求める特別決議

 第2回水郷水都全国会議は1986年9月6、7の両日、霞ケ浦湖畔の茨城県土浦市で聞かれた。全国各地で湖沼、河川、海域の環境の保全・再生に取り組んでいる150団体、600人が参加したが、そのなかに宍道湖・中海周辺の住民130人が参加して注目をあつめた。
 一行は緑のペンキを流しこんだようなアオコの異常発生している霞ケ浦のさんたんたる実態をつぶさに視察し、それが淡水化事業により常陸川水門を閉鎖した直後から出現したことを知って、強い衝撃をうけた。さらに宍道湖周辺の漁民たらは、アオコ発生により致命的打撃をうけた霞ケ浦周辺の漁民たちと会合をもち、夜を徹してその体験をきいた。そしてあらためて、霞ケ浦がたどった前車の轍(てつ}を歩んではならないことを深く決意した。
 宍道湖・中海は、わが国にのこされた貴重な汽水湖、である。これがひとたび淡水化されれぱ、すばらしい自然は永久に失われ、漁民をはじめ湖の周辺に住んでいる人々、この湖の自然景観と歴史的環境を愛する人々にとって、取りかえしのつかない損失をもたらすことは必至である。
 わたしたち第2回水郷水都全国会議に参加した一同は、地域をこえて連帯し、祖先から受けついだこの美しい湖を次の世代にのこすことを決意した。そして漁民をはじめ周辺住民の生活を守るため、ここに宍道湖・中海の淡水化事業の中止を強く要求し、それをめざしてたゆみない努力を続けていくことを、ここに宣言する。

(以上)


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